粟代はねこみ

 奥三河の豊根村は、長野県の阿南町新野と隣接する村である。阿南町新野といえば「新野の盆踊り」で知られる集落で、この周囲一帯には、念仏踊り系の盆の踊りが多く現存している。東隣にある天龍村大河内や向方といった集落で行なわれる「かけ踊り」と言われる踊りは、阿南町和合の「念仏踊り」とよく似たもので、とくに14日には新盆の家に踊りの行列が訪れ、そこで太鼓と鉦で輪踊りが行なわれ、行列の一行が新盆の家で振舞われると、次には盆踊りが踊られるのである。新盆の家を訪れてからまた次の家へ向うまでの一連の新盆家での行事は、古い盆の行事の形をよく残しているものであろう。

 さて、豊根村あたりではこの行事を「はねこみ」などといっている。とくに送り盆である16日の晩に行なわれるものは、新野の盆踊りの「踊り神送り」と同様に、村はずれまで新盆も含めて盆に飾られた飾りを送って行くわけで、最後には盆の飾りは焼かれて終わるのである。

 粟代では、午後7時半ころ、集落の上の方から送り盆の行列が始まる。各家からは「奉送有縁無縁南無阿弥陀仏」と書いた紙の旗を笹竹につけて持って行列に加わっていくのである。集落を下る途中、村内の神様があると、そこで一行は礼拝しては進むのである。学校に着くと、入り念仏、中念仏と行なわれ、和讃が唱えられる。新盆の家で出された灯篭が賑やかに並ぶ。かつては夜が明けるまで踊られたというが、今は省略され、夜の内に行事は終わる。踊りが終わると、間黒川の粟代橋まで行き、灯篭などが焼かれてしまいとなる。

 撮影したのは、昭和61年8月16日である。

 

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