海岸寺

 山梨県旧須玉町上津金の海岸寺には、たくさんの守屋貞治作の石仏が境内に並んでいる。養老元年(717)に、行基菩薩が庵かを構えたのが始まりといわれる海岸寺である。
 守屋貞治は、信州高遠の石工で、生涯に自ら記録した「石仏菩薩細工」によると、333体を彫像したとある。実際の数については、記録にないものが発見されるなどして、正確な数はわかっていないが、細工帳に記録されていても発見されていないものもある。貞治は明和2年(1765)に高遠藩藤沢郷塩供、守屋孫兵衛の三男として生まれた。すでに高遠藩には優れた技術を持つ石工がいて、全国に稼ぎに出ていたこともあり、高遠石工の存在が知られていたようである。
 どのような石工に師事して名工としての名をはせる原点になったかはわかっていないが、若いころの作品をには稚拙なものもあるが、40歳ころからの作品は、いわゆる貞治仏の特徴が明らかに出てくる。

 遠くは兵庫県和田山町や志摩半島にまで足を伸ばしており、とくに志摩半島片田に残る地蔵尊は、地域から大変な信仰を得ている。

 海岸寺に残る石仏群は、文化年間の円熟期の作品といわれ、約100体の石仏が残る。
 露天に並んでいたということもあり、光背が割れてしまっているものが多いが、顔の表情はその痛々しい姿とは異なり、とても温和である。

 昭和57年12月30日に撮影したものである。
■聖観世音菩薩

■聖観世音菩薩

■聖観世音菩薩

■千手観世音菩薩

■馬頭観世音菩薩

■十一面観世音菩薩

■十一面観世音菩薩


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