かなんばれ

  3月3日、南佐久郡北相木村では「かなんばれ」という行事が行なわれる。流し雛の行事で、かつては部落ごとに行なわれていたという。学校から帰ると、古くなったおひなさまや人形、それとお餅、おしる粉の材料などを持って相木川の川原に行く。蚕かごやむしろなどで簡単な小屋を作り、ひな人形を飾り、中に石でカマドをつくって、流木を燃やしてしるこを煮て、おひなさまに供えみんなで食べた。そのあと歌をうたったり楽しく遊んで、最後におひなさまをさんだわらにのせて川に流したという。もともとは女の子だけの行事であったが、男の子も行なうようになった。しかし、男女別々に行なっていたという。戦後になって廃れ、昭和20年代後半に途絶えた。
 その後、昭和35年ころ教育委員会が復活させようと努力したものの定着しなかった。昭和55年に地域の素材を生かした学習と伝統の行事を継承していこうというねらいから、学校でゆとりの時間を使ってとり上げて復活した。昭和63年に学校で作成したプリントには、「流すひなは、空箱や古紙を利用して図工の時間等に作り、そこに自分のはらいごとを紙に書いて託し、学校の前の相木川の川原に行って、給食で作ってもらったおしるこを供えて食べ、その後川に流すというように行なっています。」とある。

 人のけがれやわずらいを、人形が身がわりになって払い流してくれるという考えといわれ、古くは全国にこうした行事があったようである。

 『子供組の習俗・南佐久地方における年令階梯制の記録(長野県民俗資料調査報告2)」(昭和34年刊)には、北相木村以外にも川上村で行なわれていたことが記録されている。それによると、3月下旬ころに川上村川端下・梓山・秋山・居倉でも行なわれていたといい、「ウシンベカナンベ」といった。川上村では小学校1年から6年までが男女別々に行なったという。戦前まで行なわれた。

 さて、わたしが訪れたのは昭和63年の3月3日であった。平日にもかかわらず、流し雛の行事が大変珍しいということもあって、カメラマンがたくさん集まっていた。それは自由だが、カメラマンたちが女の子たちに人形を流すポーズをとって欲しいと注文をしていた。たまたまポーズをとっているところへ風に流された人形を追ってきた男の子が入り込んだふとした行動に、教頭先生が邪魔だとばかりにしかりつけたのにはびっくりした。学校行事として伝統を継続していくこともよいが、気分を悪くした行事であった。

 

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