万治の石仏

 下諏訪町にある諏訪大社下社春宮の西側に、砥川という川が流れている。それほど大きな川ではないが、春宮入り口から少し西へ行くと、その砥川を渡り、その脇から歩く道を川を少し遡ると、大きな石の上に首だけ載せた、風変わりな石仏が現れる。左側に、「南無阿弥陀佛」(3枚目写真)と刻まれ、「願主 明誉浄光 心誉慶(廣ともいう)春 万治三年 十一月一日」と続いて刻まれている。万治3年というと、西暦1600年にあたる。この元号からとって「万治の石仏」として知られている。写真でもわかるように、大石の表面に腕と袈裟が浮き彫りにされていて、弥陀定印を結んでいる。地面から頭上までの高さは、235センチ、幅は275センチとかなり大きな石仏である。よく見ると卍のマークが逆である。数年前に亡くなられた宮島潤子氏は、これを逆卍といって、秘密念仏のシンボルマークといった。そしてこの石仏について著書『信濃の聖と木食行者』(角川書店 昭和58年)のなかで、この石仏が造営された万治3年は、きしくも諏訪唐沢阿弥陀寺で木食行者弾誓(たんせい、1551-1613)五十回忌が行なわれた年で、弾誓の弟子たちによって造営化されたものであろうと説いている。
 いっぽう伝説では、春宮の石鳥居を造る際に、材にしようと石工がノミを入れたところ、血が出たために中止し、阿弥陀如来をまつったという。ノミを入れた痕跡も残る。
 風変わりであるとともに、仏頭の像容などから、岡本太郎が絶賛したといわれ人気の石仏である。
 昭和57年1月17日に撮影したものである。

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