白滝山の石仏

 瀬戸内海中央部において最も大きい島、因島。1島1市であったが、平成の合併で今は尾道市となっている。村上水軍で知られる島で、村上吉充が、因島青木城の控えの護りとして永享3年(1431)に観音堂を建立したのが白滝山である。この山の中腹から山頂にかけての参道に700体ほどの石仏が並んでいる。この石仏の由来については、次のように言われている。

 天明元年(1781)に柏原伝六という人物が、重井町の川口屋という家に生まれた。文政5年(1822)伝六42歳の折、信仰的悟達の域に入り、一観教を編み出した。伝六自ら教祖として立ち上がり、文政8年(1827)ころには信者の数も数千人を数えるほどだったという。そして、文政10年、尾道の石工などを呼び寄せ、石仏群の彫刻を行なった。

 というようなものであり、仮想四国八十八ヶ所もつくられている。五百羅漢をはじめ、ユニークな表情の石仏も多い。そんななか、2枚目写真は、本堂前の巨岩に半肉彫りされているものである。柏原伝六が始めた一観教は、観音道一観といい、儒教・仏教・神道・キリスト教の4教を一丸としたものである。そんな遺物といえるのだろうこの観音像の右上には、十字架が刻まれている。

 撮影したのは、平成3年11月10日である。

 

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